22年間ありがとうございました!

コミケットトレイン22年の旅路

1986,8,9〜2008,12,13

 

1985年…コミケ参加者による、コミケ前日の交通機関(大阪ー東京)の混雑緩和と、車内でのコミケ参加者同士の交流を目的として、ファンロード読者の兵庫集会とリンクして、国鉄(当時)福知山鉄道管理局のお座敷車輌「いこい」号を利用した「コミケットトレイン」を構想しました。

 

1986年8月9-11日…晴れて第1回の「コミケットトレイン」を開催しました。輸送力列車としてではなく、参加者の交流の場として車内は盛り上がり、一応の成功を収めました。

※「参加者の交流」コレがコミケットトレインの本質です。この本質は今に至るまで絶対に曲げないつもりでいます。

 ◎参加者数:上り44、下り18

 ▲1986,8,10 コミックマーケット30 晴海国際展示場 3,900サークル

 

1986年12月26-29日…「いこい」の使用できず。やむをえず大垣発東京行きの夜行鈍行での「コミケットトレイン残党ツアー(2号)」を行いました。しかし、凄まじい混雑で「地獄の残党ツアー」と呼ばれ、以後のコミトレの歴史に名を刻む事となりました。中日は中目黒の共済宿舎で合宿を実施。

 なお、この回に現行の「コミトレ実行委員会」は誕生しました。

 ◎参加者数:16−18名

 ▲1986,12,27-28 コミックマーケット31 東京流通センター 4,900サークル

 

1987年8月7-10日…「いこい」使用不能につき、銀河82号の指定券だけ1両分確保して「コミケットトレイン3号」を強行開催。ところが、手違いにより途中から一般のお客さんが同じ車輌に!当然車内イベントは名古屋で中断となってしまいました。運行と企画の難しい関係など、色々な点で課題を残し反省させられる回でした。

 ◎参加者数:上り37、下り12

 ▲1987,8,8-9 コミックマーケット32 東京流通センター 4,400サークル

1987年12月…冬コミは盛大に開催されるも「コミケットトレイン4号」は運行中止。

 ▲1987,12,26-27 コミックマーケット33 東京流通センター 4,400サークル

 ※ここで注目!コミケットトレインの号数は、団体券の申請を基準として決めています。ですから、この4号はまったく走らなかった欠番の企画になります。団体券の申請や貸切の認可は大変な労力を必要とします。これがスタッフの悩みの種…

 

1988年5月…相次ぐ失敗を教訓に、「コミケットトレインとは、貸切でなくてはならない」という有名(?)な「88年テーゼ」のもと、新生コミケットトレイン実行委員会は「コミケットトレイン5号」の推進をスタート。

1988年8月12-15日…銀河82号にお座敷車「いこい」を連結し、「コミケットトレイン5号」開催。車内はクイズ大会、マラソン上映会(なんと3時間余!)その他の企画で十分盛り上がりました。さらに東京駅から晴海会場まで初のシャトルバスを運行するなど、大きな成功を収めた回でした。

 ※これが最後の「お座敷コミトレ」。この回以降は95年の専用列車運行開始まで座席車使用のイベントに変質していきます。

 ◎参加者数:上り50余、下り37

1988,8,13-14 コミックマーケット34 晴海国際展示場 9,000サークル

 

1989年3月24-27日…お馴染み「銀河82号」で非貸切で「コミケットトレイン6号」を開催。こういうコミトレのことをスタッフ内部では「マイクロコミトレ」と・・・言わないか。参加者数も少なく、夏コミでないとコミトレを運行するのは困難という判断が確立しました。

 ◎参加者数:上り10、下り6

 ▲1989,3,25-26 コミックマーケット35 晴海国際展示場 10,000サークル

 

1989年夏…コミトレの歴史と共にあった名車「お座敷車いこい」が、別の車輌に改造されることになり、以後のお座敷での運行はほぼ不可能に。

1989年8月12-15日…銀河82号による「コミケットトレイン7号」実施。車内に出現した女王様によるアトラクションはぶっつけ本番。さらに車輌は普通の座席車でだれも勝手がわからず。そんな悪条件にもかかわらず、車内は今までと違った一体感が・・・そう思うのは私たちスタッフの手前味噌でしょうか。

 ◎参加者数:上り56、下り19

 ▲1989,8,13-14 コミックマーケット36 晴海国際展示場 10,000サークル

 

1989年秋−冬…夏のコミトレの熱気覚めやらぬ我々は、夏の祝祭を誌上に再現すべく「コミトレアルバム」を作成。

1990年8月…参加者が集まらず、この年の企画推進は例年になく難航。最低催行人員ライン上ぎりぎりの判断であくまで貸切による「コミケットトレイン8号」開催を決断。風呂本委員長が京都駅頭で発した「進むも地獄、止めるも地獄」はこのときの事情を良く表した言葉。

1990年8月17-20日…「コミケットトレイン8号」を開催。厳しい参加者数の中、車内では団体参加の山城高校系統のパワーに、風呂本・芳村・岡根3長老も圧倒されたものでした。「若いって、いいなぁ・・・」とは誰が言ったのやら。

 ※この年の車内アトラクションは「花ずきんちゃん」と怪しげな悪魔が渾然一体となった何ともスゴいアトラクションでした・・・最低人員ギリギリでもやってよかった!!

 ◎参加者数:上り40、下り10余

 ▲1990,8,18-19 コミックマーケット38 幕張メッセ 13,000サークル

1990年10月…その年の参加者を対象にした「コミトレ8号同窓会」を開催。道頓堀のまん前で、うどんすきをつつきながら夏の思い出ばなしにふけりました。

 

1991年4月…前年暮れ、絶頂を極めた幕張メッセのコミケに端を発した一連の事件のあおりを受け、夏コミの日程が突如変更!当然推進にも大打撃を及ぼしました。

1991年8月15-18日…一時その実現が危ぶまれたものの、「コミケットトレイン9号」を開催。とにかくこの回は「外的要因」にさいなまされつづけた回でした。何とこの回の下り便、座席指定が突然消されてしまっていたのです。JR西日本、おそるべし。

 ◎参加者数:上り51、下り19

 ▲1991,8,16-17 コミックマーケット40 晴海国際展示場 11,000サークル

1991年12月…「コミトレ9号忘年会」を開催。神戸元町のど真ん中の店には堂々と「コミケットトレイン様御席」の札が掲げられたのでした…あー恥ずかし

 

1992年8月14-17日…「コミケットトレイン10号」を開催。車輌は中間号車だったため、何かと他のお客さんに気を使った回でした。この回から元気一杯の女の子スタッフが大量参加。彼女達を軸に車内企画を中心に担う「近畿内回り広報宣伝部」が発足しました。

 ◎参加者数:上り56、下り27

 ▲1992,8,15-16 コミックマーケット42 晴海国際展示場 11,000サークル

1992年12月…コミトレ10号忘年会を京都にて開催。2次会のカラオケでは、当然アニメソングが鳴り響き、年の瀬の京の宵をしっかりと荒らしまわったのでありました…

 

1993年2月24日…コミトレが縁で知り合ったカップル、芳村伸夫、高橋節子さんがこの日めでたく御結婚。コミトレの歴史にはこの日は永遠に残るでしょう。おめでとうございます!

1993年3月7日…芳村さんの結婚を祝して、特別企画「コミケットトレインことぶき号」を阪堺電気軌道にて開催。堺の浜寺公園で春の1日を過ごしました。

 ◎参加者数:往復37

 

1993年7月…精力的な推進活動のかいあって、参加者数は史上最高となる見込みが立ちましたが…

1993年8月9日…突然JRより車内での電源使用を禁ずるとの通知。車輌の電源に頼ってきたイベント計画は当然再検討に。8月9日から10日までの2日間、実行委は大混乱。広島本部−宝塚事務局−京都企画班では不眠不休で善後策の検討が行われました。この日から当日までは「火の6日間」と呼ばれています。

1993年8月14-17日、直前の混乱さめやらぬ中、「コミケットトレイン11号」を実施。銀河82号時代では最高の参加者を集め、スタッフの士気も満々。電気なんかなくたってコミケットトレインは負けません!

 ◎参加者数:上り59、下り39

 ▲1993,8,15-16 コミックマーケット44 晴海国際展示場 15,000サークル

1993年12月…既に2巡めとなった「コミトレ11号忘年会」を大阪にて実施。次は神戸だ!

 

1993年12月28日−31日…鉄道利用イベントであるコミトレが、初の「コミトレバスツアー」を実施。新たなイベント空間開拓にチャレンジしました。東京滞在中には7年振りの合宿を実施し、参加者相互の交流を図りました。しかし、バス特有の問題もクローズアップされ、今後に議論を必要とする企画でした。

 ◎参加者数:上下便・宿泊含め31

 ▲1993,12,29-30 コミックマーケット45 晴海国際展示場 16,000サークル

 

1994年8月6日−9日…コミトレ初の豪華寝台列車企画「コミケットトレイン12号」を開催。寝台車の特性を生かした分科会企画中心の車内は、これまでとは一味違う新たな雰囲気となりましたが、参加費の高騰による参加者の高齢化や狭い車内でのイベントの限界が問題となるなど、今後のコミトレのあり方に大きな課題を残した回でした。

 ◎参加者数:上り50、下り13

 ▲1994,8,7-8 コミックマーケット46 晴海国際展示場 16,000サークル

1994年12月…コミトレ12号忘年会を神戸で開催。わずか1ヶ月後にあんなことが起ころうとは…

 

1995年2月…委員会は、史上最大の決断をします。実行委員会創立以来見果てぬ夢として語られてきた「団体専用列車」の実現に向け、10年振りの歯車が動き出したのです!

1995年8月17日−21日…JR東海の誇るイベント車輌「ユーロライナー」を使用した専用列車「コミケットトレイン13号」が、史上最大の参加者を集めて運行されました。充実した設備をフルに活用し、車内はこれまでにない盛り上がりを見せました。しかしながら復路はさながら「空気輸送列車」。結局60万円あまりの巨額の赤字を計上する事となり、コミトレの存廃を含めた微妙な事態が発生してしまいました。

 ◎参加者数:上り115、下り61

 ▲1995,8,17-21 コミックマーケット48 晴海国際展示場 18,000サークル

1995年12月…コミトレ13号忘年会を京都・名古屋で開催。事務局メンバーは名古屋(土曜日)−京都(日曜日)の宴会のはしごをやる羽目に。

 

1996年1月…昨年で「味をしめた」我々は結局日本最強の移動会場「ユーロライナー」の魅力に勝てず、旅行会社に「コミケットトレイン14号」を申請。

1996年6月1日…コミトレ初の提携企画を広島のアマチュア同人誌イベント「PRIVATE LABEL」実行委員会とともに開催。広島で同人誌趣味者の相互交流を目的とした貸切電車を運行しました。「PRIVATE TRAIN」と名付けられたこの企画で即売会場から広島駅まで約30分間、楽しいひとときを過ごしました。なお、このときは提携先の御厚意で参加記念品の紅白饅頭を用意しました。今から思えば結構珍品だったりして・・・

 ◎参加者数:広島電鉄「商工センター前」→「広島駅」間 32

 

1996年8月2−5日…昨年に引続きJR東海の誇るイベント車輌「ユーロライナー」を利用して「コミケットトレイン14号」を運行。念願の大阪発着便もついに実現。赤字も前年を大幅に改善することができました。しかしながら、「ユーロ」特有の課題点…車内放送の状況・深夜のスタッフ安全巡回・復路の降車確認の困難さなどが顕在化し、一部の参加者の方には迷惑をかける事態が発生してしまいました。

 ◎参加者数:上り112 下り56

 ▲1996,8,3-4 コミックマーケット50 東京ビッグサイト 19,000サークル

1996年12月…コミトレ14号忘年会を大阪・名古屋で開催。大阪会場では運行記録ビデオの上映会も実施。4ヶ月ぶりに見ると、結構冷静に自分の姿を見てしまったりして・・・・(-_-;)

 

1997年8月14−18日…事務局の福岡移転も何のその。本年も「コミケットトレイン15号」は性懲りも無く運行のはこびに。本年は参加者の皆さんによる口コミ・地道な推進活動・インターネットホームページ開設等を通じ、スタッフ一同新たな参加者層の存在を実感した回でした。また、この回で、ユーロライナーを安定的に継続できる程度の赤字幅に圧縮する収支改善に成功しました。

 ◎参加者数:上り113 下り61

 ▲1997,8,15-17 コミックマーケット52 東京ビッグサイト 34,000サークル

1997年12月13−14日…コミトレ15号懇親会を名古屋・神戸で開催。

1997年12月29日…コミケット53にコミトレ実行委員会サークル参加。

「コミトレ15号参加者記念誌」「コミトレ16号実施要項(案)」を発行。

 

1998年8月13−17日…「コミケットトレイン16号」運行。往路は至上最多の参加者を集めての運行とあいなりましたが、これまで想定していなかった募集定員オーバーという新たな事態にスタッフは直面。事務局一同、鉄道・そしてコミトレのシステムの硬直性に悩む結果となりました。復路は、出発直前に池袋で行った懇親会からの移動に手間取り、三役全員が品川駅に遅刻するという大失態。次年度への改善が求められる大きな反省点となりました。

 ◎参加者数:上り138 下り70

 ▲1998,8,14-16 コミックマーケット54 東京ビッグサイト 34,000サークル

1998年12月12−13日…コミトレ16号懇親会を名古屋・京都で開催。名古屋での開催も定着したみたいですね。

1998年12月29日…コミケット55にコミトレ実行委員会サークル参加。沢山のお客さんがスペースを訪れてこられました。ありがとうございました!

 

1999年8月12−16日…「コミケットトレイン17号」運行。この回も、往路だけは速い申し込みピッチ。相変わらず往路の7号車に座っていただく方も発生しました。しかし、参加者の往路への集中による運賃コストの増大が重くのしかかった回でもありました。規模の急激な膨張と参加者層の変化、という本家コミケットの向き合う激変は、我がコミトレにも課題としてのしかかって来ているようです……

 ◎参加者数:上り135 下り73

 ▲1999,8,13-15 コミックマーケット56 東京ビッグサイト 34,000サークル

1999年12月26日…9年ぶりのクリスマス開催になったコミケット57にコミトレ実行委員会は議席確保ならず! 夏のどさくさで申込書提出がならなかったための事態ですが、やっぱ残念でした。

 

2000年8月10−14日…「コミケットトレイン18号」運行。老朽化と稼働率低下によるユーロライナーの廃車があやぶまれましたが、なんとかユーロでのコミトレも無事実現。昨年・一昨年の往路輸送力不足・復路輸送力過剰という実態を踏まえ、往路の「7号車不使用、全参加者個室使用」を決断。涙をのんで1988年以来12年ぶりの往路満席札止めを断行しました。また、復路は積極的な乗車への呼びかけと曜日周りの関係から過去最高水準に。ところが復路の部屋割りをめぐっては人数の増大にともない混乱も発生。参加者の意識の変化にコミトレそのものが対応しきれていない実態が課題となりました。

 ◎参加者数:上り119 下り101

 ▲2000,8,11-13 コミックマーケット58 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2000年12月9−10日…コミトレ18号懇親会を名古屋・神戸で開催。震災直前に神戸で開催してからはや2度目の神戸は、街の光が眩く輝いていました。

2000年12月30日…コミケット59にコミトレ実行委員会サークル参加。

「コミトレ19号実施要項(案)」を発行。沢山の方々が遊びにきて下さいました。

 

2001年8月9−13日…「コミケットトレイン19号」運行。夏コミがお盆直前というタイミングで開催された関係もあり、参加者数は前年を大幅に下回る大苦戦。

 しかし、参加者の高齢化とともに「休めない社会人」「厳しい雇用変動」という重い課題がクローズアップされ、我々の桎梏と化しているのが実態です。

◎参加者数:上り98 下り85

2001,8,10-12 コミックマーケット60 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2001年12月8−9日…コミトレ19号懇親会を名古屋・京都で開催。

2001年12月29日…コミケット61にコミトレ実行委員会サークル参加。「コミトレ20号実施要項(案)」を発行。今回も沢山の方々が遊びにきて下さいました。

 

2002年8月8−12日…「コミケットトレイン20号」運行。参加者数は前年をさらに下回る結果に。しかしながらチラシ・ポスターともにこれまでの路線を大転換。時流に合わせた視覚に訴える活動を模索し、一定の注目を集めることもできました。「まるちきゃすと」さんによるイラストを用いたポスター・駅弁などのとりくみは、今後の活力の一歩となるでしょう。

◎参加者数:上り83 下り61

2002,8,9-11 コミックマーケット62 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2002年12月7日、21日…コミトレ20号懇親会を大阪・名古屋で開催。

2002年12月30日…コミケット63にコミトレ実行委員会サークル参加。「コミトレ21号実施要項(案)」を発行。役員スタッフも継続の決意を固めました。

 

2003年8月14−18日…「コミケットトレイン21号」運行。打ち続く不況のトンネルは終わりが見えず、常連参加者の多くがコミケ参加を見合わせる事態が目立った年でした。

そんななか、「大槻弘子」さんによるチラシはそんな沈滞を吹き飛ばす明るい空気を伝えてくれました。2年目となる「コミトレ弁当」の企画も定着してきたようです。

      ◎参加者数:上り81 下り65

      ▲2003,8,15-17 コミックマーケット64 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2003年12月21日…コミトレ21号懇親会を神戸で開催。

2003年12月30日…コミケット64にコミトレ実行委員会サークル参加。「コミトレ22号実施要項(案)」を発行。

 

2004年8月12−16日…「コミケットトレイン22号」運行。1995年以来専用列車として活用したユーロライナーによる最後の運行となりました(2005年4月廃車)。チラシは台湾の大手サークル「REI’s Room」のREIさんによるチラシを活用して告知に取り組みました。車内では上映会・クイズ大会など、ユーロライナー最後にふさわしい盛り上がりを実現できました。

      ◎参加者数:上り79 下り46

      ▲2004,8,13-15 コミックマーケット66 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2004年12月11〜12日…コミトレ22号懇親会を京都・名古屋で開催。京都ではお店を占領するほどの多数の方々に集まっていただきました。コミトレの力は人の力なのです。

2004年12月30日…コミケット66にコミトレ実行委員会サークル参加。「コミトレ23号実施要項(案)」を発行。19年目の取り組みに着手しました。

2005年3月21日…コミックマーケットスペシャル4にコミトレ実行委員会サークル参加。

 

2005年8月11−15日…コミケットトレイン23号 運行。「ユーロライナー」の後継車両として我々はJR西日本のお座敷車「あすか」を選択。1988年以来17年ぶりのお座敷車での運行となりました。チラシは「にゃおっくす」さんと「流瀬 剛」さんによる3種類のチラシとポスターを全国展開。前年を大きく上回る参加者の方をお迎えすることができましたが、お座敷車独特の事情から車内設営の煩雑さや人数の割に思わぬ混雑が発生した点が課題でした。また、「あすか」へのグレードアップに伴い決算は史上最悪の赤字となり、初の「運行安定化支援カンパ」を呼びかけたところ、多額のご支援をいただくことができました。改めて御礼申し上げます。

      ◎参加者数:上り96 下り80

      ▲2005,8,12-14 コミックマーケット66 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2005年12月17〜18日…コミトレ23号懇親会を大阪・名古屋で開催。大阪は30名を超えるほどの大盛況。コミトレを支える各層の力と夢を、これからの運行維持に向けたたたかいに活かしていくべき使命を再認識し、スタッフ一同来年への決意を新たにすることができました。

 

2005年12月30日…コミケット68にコミトレ実行委員会サークル参加。1986年の運行開始から20年となる2006年夏のコミトレに向けた「コミトレ24号実施要項(案)」を発行。19年目のとりくみに着手しました。

 

2006年8月10−14日…コミケットトレイン24号 運行。1986年の第一号の運行から数えて満20年の節目の年を迎えることができました。チラシは「河南あすか」さんと「T彦」さんによる2種類のチラシとポスターを全国展開。復路は積極的なご参加の呼びかけを重ねた結果、なんと往路の参加者数を上回る、コミトレ20年の歴史始まって以来の快挙を成し遂げました。しかし、曜日周りの関係から延べ参加者は前年を11名下回り、決算は過去最悪の赤字を更新。断腸の思いでご支援の方々に2度目のカンパをお呼びかけした結果、344千円ものご協力を賜ることができました。改めて御礼申し上げるとともに、このような決算に至った役員の責任を重く受け止めることとなりました。お詫び申し上げます。

      ◎参加者数:上り80 下り85

      ▲2006,8,11-13 コミックマーケット70 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2006年10月1日…コミケの理念を打ちたて,今や世界一のアマチュアイベントとしての隆盛を実現した偉大な米澤代表が肺ガンで逝去.10月7日の葬儀には当実行委員会も,委員会を代表して関東在住の事務局長が参列.我々コミケットトレインはコミックマーケットと常に共にある企画です.その理念に自らのイベントを重ね合わせている我々は,コミケットの理念を自らのあり方で守り伝えるべく,コミトレという場を守り育ててゆくことを代表の霊前に誓いました.

2006年12月16〜17日…コミトレ24号懇親会を神戸・名古屋で開催。神戸はルミナリエの真っ最中という悪条件のなかではありましたが、延べ20名の参加者が結集し、大いに盛り上がることができました。名古屋では14名が結集し、巫女さん居酒屋で鍋を囲むアットホームな光景が繰り広げられました。

2006年12月31日…コミケット70にコミトレ実行委員会サークル参加。2007年夏のコミトレに向けた「コミトレ25号実施要項(案)」を発行。

 

2007年4月7日…2007年度コミケットトレイン総決起集会を梅田で開催.JRからの貸切許可・概略ダイヤなどの運行体制をもとにチラシ展開・事務スケジュールなどの本年の進め方を確認し,いよいよ本格的なとりくみをスタートさせました.

 

2007年8月16−20日…コミケットトレイン25号 運行。昨年の20周年をもって一区切りつけようという議論も実はありました。しかし、昨年10月の米澤代表の逝去を受け、コミケットトレインの鉄路を守ることを代表の霊前に誓った我々は、25回(実際の運行は24回)目のコミケットトレインにとりくみました。チラシは前年の好評を受けて「河南あすか」さんによる作品を全国展開。しかし、曜日周りの関係から復路参加予定者は前年を大きく下回る状況。さらにJRの列車運賃の大幅値上げのダブルパンチでついに赤字額は200万を超えてしまいました。

      ◎参加者数:上り88 下り63

      ▲2007,8,17-19 コミックマーケット72 東京ビッグサイト 35,000サークル

2007年12月1〜2日…コミトレ25号懇親会を京都・名古屋で開催。京都は15名の参加者で、年の瀬の木屋町でオタク談義に花を咲かせました。名古屋では12名が参加。今年も巫女さん居酒屋で鍋を囲んで盛り上がりました。

2007年12月31日…コミケット73にコミトレ実行委員会サークル参加。2008年夏のコミトレに向けた「コミトレ26号実施要項(案)」を発行。

 

2008年 1月29日…コミトレ実行委員会は,2008年夏のコミトレに向けた「コミトレ26号」を旅行会社に申請。

 

2008年6月7日…2008年度コミケットトレインスタッフ緊急会議を大阪で開催。JRからの貸切許可がなかなか下りない状況を憂慮し,参加者に迷惑を掛けず安全運行を第一とした当面の対応方針を協議しました。

 

2008年6月29日…コミケットトレイン26号のご案内が遅延していることをお詫びする緊急ダイレクトメールを2006年以降の全参加者140名余に対して発送しました。

 

2008年7月18日…その後の情勢を勘案し、独自の判断で運行を見通すこととし、旅行業法に抵触しないコミケットトレイン26号の計画連絡2006年以降の全参加者および所縁の方々に対して発送しました。

 

2008年8月6日…遅延についてそれまで何の理由の説明もありませんでしたが、JRからようやく旅行会社に対して運行の確定が通知され、ようやく実施の公表が許可されました。しかし、ネットでの不特定多数に対する募集が禁じられるという制限が課せられたなか、一斉に口コミによる推進を強化しました。

 

2008年8月10日…現時点で参加の意思が確認できた方々に対して、参加確定案内を発送しました。

 

2008年8月14日…コミケットトレイン26号往路、大阪出発。最後の最後で混乱を極めた結果となりましたが、わずか72時間で70名有余の結集を勝ち取ることが出来たことは、コミトレの歴史の底力と人の輪のありがたみを再度認識させられる結果にもなりました。

2008年8月17日…最後の旅路となるコミケットトレイン26号復路が品川駅を出発。推進最後のチャンスとなったコミケット3日目は、支援サークル「presto」「TRIP?準備会」「Project Arbalest」のご好意により積極的な告知展開を実施、最後のコミトレに参加しよう!というご好意にも助けられ、往路を1名上回る85名の参加者の結集を勝ち取り、盛大な見送りと万歳三唱のなか品川駅を無事出発することができました。

2008年8月18日…午前6時26分 コミケットトレイン26号復路が大阪駅に定刻どおり到着。22年間の活動を無事故で完遂することができました。

      ◎参加者数:上り84  下り85

      ▲2008,8,15-17 コミックマーケット74 東京ビッグサイト 35,000サークル

 

2008年12月13日…コミケットトレインさよならパーティーを大阪で開催。これまでの歴史で培われた人の輪を新たな創作の出発点とするための場として、実行委員会は最後の活動にとりくみました。      ◎参加者数:60